先ほどブログの紹介をしたのでついでにもう一つ

徒花さんのブログ」を紹介します。

本を購入するときに私が参考にさせてもらっているブログの一つです(出版関係の方のようです)。

私の場合、自分の好みで本を選ぶと「心理学」「哲学・思想」「ビジネス・経営」に偏りすぎてしまうので、どうしても他の人を参考にする必要があるんです・・・。

言語化する?

「むかしむかしあるところに、死体がありました。」

「叙述トリック短編集」

「ラメルノエリキサ」

これらは徒花さんが取り上げていなければ絶対に自分から進んで買うようなものではないので、助かっています。

 

で、その徒花さんが今日ブログに

言語化できないということは、「頭の中で整理できていない」ということ

 

ということを書いていました。

私自身「何か不安に思ったり悩んでいるなら言語化すればいいんじゃない」と自分に問いかけることがあるのですが、

これは、言語化しないと自分が何で心理的に不安定になっているのか理解できず、不安の原因が分からなければ不安を和らげるための対処法も見つからないということが分かっているからです。

たとえば、ものすごく腹が立つことがあり怒りを抑えることが出来なくなったとき

「なんで自分はこんなに怒っているの?」

「あ~、あの人が自分のここを理解してくれていないと、自分が感じているからだ」

「じゃ、どうすればいいの?」

「あの人に自分を理解させるには何をすべきなのか?」

「ん、そもそも、あの人って本当に自分のこと理解していないのか?」

「いや、理解したうえで、忠告してくれているのでは?」

「じゃ、どうなの、これって相手が問題じゃなくて自分に問題があるんじゃないの」

「自分の能力がないことが原因なのに、その責任を相手に押し付けて自分勝手に怒っているだけなんだ」

「自分に原因があるなら自分の考えを変えなければ」

とか

何かよくわからないけれどイライラしているときは

「なんでイライラしている」

「自由に使えるお金がなく、やりたいことが出来ないからだ・・・」

と、これだけでも意外と落ち着いたりするものです。

「そんだけ?」と思うかもしれないけれど、思っている以上に心理的不安は和らいでいくのでお勧めします。

 

と・・・

今回徒花さんが言っている「言語化」は、こういうことではなく、

「言葉にできないということは何も考えていないこと」というもので、上で挙げた例とは全く違うものです・・・

 

シン・二ホン

近い将来、世の中がどう変化していくのか?

子どもたちが何年もかけて受験のための勉強をすることが本当にいいのか?

ということを自分なりに考え、言語化するのに役立つのが、今話題になっている「シン・二ホン」

です。

読みやすい本なので興味のある方は是非。

読んでいても「ん?なんでそう断言できるの?」と疑問に思うところは多々出てくると思いますが(批判を黙らせる反証を著者から即座に提示させられ何も言い返せなくなると思うが)

本と会話しながら読むと面白いですよ。

プログラミングは知っていて当然の前提ではあるがそれだけ知っていても意味がなく、まずは数学の基礎をみにつけろ、

小学生から中途半端な英語をやるくらいなら母語を使って考えることができるようになったほうがよい(ただ著者は英語の重要性は否定しておらず世界語(英語・中国語)を使いこなせるようにならなくてはいけないと書いてある。やることをやるなら英語教育導入も理解はできるとあった)

という主張は、私が何度か書いてあることと全く同じでした。

 

個人的な読後の感想を簡単にまとめると

日本もアメリカ社会のようにメリトクラシーがもっともっと広がり、個人の能力により(学歴もその一部だが学歴だけではどうにもならない)自由に生きていける人とそうでない人が今以上に可視化されだろう。

ということです。

これからの子どもが何を学んでおくべきか、著者の考えが書かれてもいるので、定期テストの点数で一喜一憂するなどの次元で勉強を考えていても子供のためにならない可能性が高いということも見えてくるはずです(ただ、書いてある内容が正解とは限らないので、何をすべきかは自分で考えなくてはいけない)。

 

今までもそうかもしれませんが、学校の勉強に限らず、人間は学び続けなければならないことは間違いないな・・・と。

学び続けなければ生きていくのが辛くなる今後を考えると、何にも興味関心を示せないことが一番怖いのかもしれません。

大人から言われたことだけを素直に従う子は、大人から見たらよい子に見えるかもしれませんが、本当にそれでいいのか?

やるべきことを人から与えられなければ自分で行動できない子が、はたして自分の興味関心を持てるのだろうか?

特定の能力を数値化して示す偏差値が高いだけの子よりも、自分で考え行動ができ素養も兼ね備えた子のほうが自由に生きていけるはずです。

だからこそ、塾は学校の勉強ができるようになるだけでなく(私が現在のフランチャイズ個別指導塾の否定している理由の一つ)、自分の考えを持てない子どもにだけはさせてはならないと、ここ数年、強く思っています。

 

 

そのために役立つのは、本を読むことです。

子どもは家族・学校という限られた社会しか見ることができないのが普通で、普通に生活しているだけでは視野が広がりません。

だから、本を読み視野を広く(素養を養う)持つことが大切になります。