中学の時に努力をしなければその先の人生も努力はできない、可能性が高いということ

努力をしていなければ自分が何ができて何ができないかが分からないし

自分の能力を過小評価せざるをえず、やろうと思えばできることであっても「やってもできない」と思い込み、やってみようとすら思えなくなる。

逆に自分の能力を過大評価して、ほぼ不可能なことでも「やればできる」と思い込んでしまい、無駄に時間を使ってしまうことになる。

なにも努力しなければ、やりたいことも見つからないだろう(ゲームをしたい、アイドルが好きだなどという次元の話ではない)

 

中学時代の私は何かをやりたいと思ったことはない

ただ、ゲームをしたりマンガの本を読んだり、外に遊びに行ったり(それがすべて無駄だったとは言わないが)、

なにも努力をせずに、ただ面白いことだけをし、嫌なものから逃げる

もし、高校でも同じことをしていたら、自分が何をしたいのかもわからず、面倒なコト・嫌なことから逃げ続けていただろう

当然、逃げ続けていれば何の能力もないままただ年齢だけを重ね、自分が置かれている状況をすべて社会のせいにし、意味もなく人生を歩むことになっていたと思う

だから

中学で学んだ内容そのものは入試に必要なだけで、重要性が高いとは言えないが、

受験勉強をすること、何か努力をすることは大いに意味がある。

中学を卒業するまでに努力をしなければ、いつまでも努力をしないだろう、だって逃げることしかできないのだから(まれに努力しないでなんかすごいことをやってのけてしまった人も出てくるだろうが、そういう人は例外中の例外で、努力が出来ない人は努力が出来ない負のスパイラルに陥るのはず(個人的な勝手な思い込みなのかもしれないが、努力しない人が楽しく生活を送れるとは思えない))。

 

30近くになって仮に努力をしようと思ったとしても、継続して努力をする経験をしていなければ何をするにしても長くは続かず、すぐに挫折するだろう(それに、能力を高めることを怠ってきたのだから、やろうしても何もできないだろうし)

もちろん、30になってから本気で何かに取り組むことができる人もいるだろうが、少数派だと思う。

 

私の場合、名前を書けば合格できる私立高校の普通科に進学していなければ、柏陵高校に運よく合格できていたら、周りの人との実力差に意気消沈し(当時の私は柏陵に合格した友達を超天才と思うほど本当に何も知らなかったので、その状況からたとえ一瞬やろうと思っても、「やっても無理」と途中であきらめていたと思う)。

私がどれだけできなかったかは「私の偏差値推移」に書いてある通りです。このレベルから這い上がるのは(大した大学に合格したわけでもないのに「這い上がる」とか言うな、と思う人も多いでしょうが)、中学のときにしっかりと努力していた人に追いつくのは本当に厳しい。

 

※ 現代社会は学校の勉強で努力ができなくても、何でもいいから自分が興味のあるものに必死になればそれでもいいと思う(ただ、「興味のあるもの」がない子は多い。何努力が出来るものがないのなら、受験勉強を利用して必死に努力をする機会を作りだす必要性は高いと思う)