夏期講習が終わって久しぶりにネットサーフィンをしていたら

このサイトの「現代文が本当に得意な子は背景知識がある」で取り上げた

山口周さんの

「ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式」

が、ダイアモンドオンライン(「学び」を活かせる人、活かせない人の決定的な違い)で取り上げられていた。

 

このサイトを見た人から見当違いなコメントを稀に受け取ることを考えると

これを読んで「知識は不要」「経験も不要」「勉強はしなくていい」と取ってしまう人も一定数いるんじゃないかと不安に思ってしまうので念のため

 

著者は知識・経験を土台にしたうえでこの本を書いてをり、

知識も経験も一切不要、勉強なんかしなくてもいい

なんてことは書いていません。

読解力・考える力がある前提で、じゃあどうしなくてはならないか、ということが書かれてある本です。

「『学び〗を活かせる人、活かせない人」というタイトルにあることからも「勉強をする」ことが前提になっていることは分かると思います。

 

 

 

一つ確実に言えることは定期テストの点数に一喜一憂するだけの人は「学び」を活かせる人にはなれないということ。

少なくとも公立中学・中堅レベルの高校の定期テストなんて理解していなくても暗記さえできば400点前後は取れるのに、そこにどれだけ価値があるのか?

努力の結果が目に見える形で見えることで、

  1. やる気に繋がり興味関心の幅が増える可能性がある
  2. 高校大学と進学し高度なものを学ぶ基盤になる

という意味では価値が十分あるとは思いますが(実際は、定期テストの点数だけにこだわり単なる暗記になっている子は興味の幅は増えないだろうし、高校進学後に中学よりもハイレベルになる内容を理解するだけの基盤も作られないので、定期テストの点だけにこだわった勉強はほぼ無価値になるかもしれません)

それ以外では

内申点が高校入試の合否に影響するという程度の価値しかないんじゃないかと思います。

 

子供たちには

学校の勉強は定期テストでいい結果を出すためにやるものではなく

  1. 知識があれば興味関心の幅が広がる可能性が高まる
  2. 能力を高めておけばやろうと思えばやれることが増える

結果的に将来自分のためになる

そのためにやっていると教え

定期テストでいい点数を取ることは単なる副産物でしかないと伝えるほうがいいんじゃないかと私は思っています。

 

 

自分で考える力がなければ「学び」を活かすことはできません

読解力がなければ「自分で考える」ことはできません。

 

山口氏が言うように

求められているのは、正解を探す力ではなく、問題を探す力

「答え」があるならそれを覚えればいいだけだが(定期テストがまさにそう)

大学校社会から押し出され大人として社会に出たらそこには「答え」がないわけで

自分で問題を探してそれを解決する力が、おそらく、自分の人生を豊かにする(経済的な面だけに限らない)。

問題を探しそれを解決する力を身に付けるために小中高校で学ぶのであって、定期テストでいい点を取れて良かった。終わり。じゃないんですよね。

 

価値観の差によって考え方は異なります。