福岡県外の方でこのサイトを訪問してくれている一定数は

「学習障害 大学受験」

「勉強が極端にできない」

勉強しても成績が上がらない 病気

といった内容で検索をして「学習障害(LD)」にたどり着いています。

その他検索内容を確認すると、

多くの方がどのようにすればいいのか分からず不安を抱えていることが伝わってきます。

最近のこの検索状況を見て、

私が今まで書くことを避けてきた、あまり書きたくなかったこと、

塾運営者として書くべきでないことを書くことにしました。

 

読み書きが極端に苦手な子

繰り返し覚えてもすぐに忘れてしまう子

設問の意味を理解することが難しい子

に他の子と同じように勉強をさせ続けることが本当に正しいことなのか?

学校の勉強にこだわる必要があるのか?

本当にやるべきことは別にあるのでは?

単純暗記はできるので理科・社会はできるけど

文章を読んでも内容が理解できず

国語が解けない

積み上げの科目

英語・数学になると結果がどんどん出せなくなる

そんな子の

テストの結果を見て

なんであんたはできないの

と子供を叱りつけることが正しいことなのか?

本気で努力をしているのに

努力に見合う結果がでない場合

親として子供に何をしてあげるべきなのか

 

勉強ができようができまいが

子どもの存在はとても尊い

これがまず第一にあるべきだと思います。

まずは気づいてあげてください。

そうでなければ子供があまりにもかわいそうすぎます。

発達障害に関連する記事

    私自身のこと

    「偏差値30台は学習障害?」という検索を見ましたが、

    偏差値で学習障害かどうかは分かりません。

    私は小学校4年生から漢字テストでは頻繁に0点をとっていましたし、

    小学生のあのカラフルなテストでも70点を取ったら喜ばれるくらいでした(勉強が苦手な子でも、それが極端でないなら、あのテストで80点~100点を取れることは普通にある)。

    中学の時は1年の始めに受けた実力テスト以降、

    5教科合計で平均点に達した記憶はありません

    定期テストでは全教科30~50点(5教科で200点前後)くらいしか取れていなかったという記憶が残っています。

    偏差値も30台でした。

    はっきりと覚えているのは、

    中学3年の2学期期末、3学期の学年末テストで、

    英語で18点を取ったことです(be動詞が何なのかもわからない状態だから当然)。

    あとは、

    スペリングコンテストで100点中2点か3点を取ったことも覚えています。

    不合格者が受ける再テストでは、

    別のクラスの全く知らない子からこそっと「娘(daughter)」の綴りを教えてもらい、

    5・6点くらい取ったような記憶も残っています。

    勉強以外で他の子と比べて異質性を感じられた部分は、

    落ち着きのなさ、

    自己中で周りが見えず他人を不快に思わせていたこと(今思い返すと)です。

    しかし、

    友達は普通にいましたし、

    人から嫌われた経験はありますが

    いじめられた記憶はありません(私のようなタイプの子は外見・性格・言動などによりいじめの対象になったり、変な目で見られることもあると思います)。

    あとは、

    クラスで常に目立っているリーダー的立ち位置にいた小学校3・4年から、

    5年の転校をきっかけに目立たない人になりました(クラスアンケート)。

    環境によって自分の立ち位置が全く異なることがある

    ということをわずか10~11歳で経験しました。

    「極端な勉強嫌い」

    「成績不振」

    「落ち着きのなさ」

    「自分が中心に世の中が回っているという勘違い(自分が中心だと考えていることに自分では気づけていない。自己中心性は小学校低学年から中学年のまでに徐々に薄れるのが普通)」

    このような小・中学校時代を振り返ると、

    今の時代だったら何かしらの発達障害に関連する診断を受けていると思います。

    私の偏差値推移

    努力が結果に出ない子はいます

    どれだけ勉強をしても成績が伸びない子はいます。

    1対1の個別指導塾に通っても学校の定期テストで平均点に全く届かない子がいると聞きます。

    教え方がものすごくいいと評判で実績のあるプロ家庭教師を雇って勉強をさせても全科目10点前後しか取れない子もいると聞きます。

    特定の1科目は得意だがそれ以外の科目が全くできない子もいれば

    逆に

    特定の1科目は苦手だが他の科目は得意だということもあります。

    必死に暗記をしても定期テストで10点くらいしか取れない子、

    努力をすれば科目によっては50点くらいはとれる子もいるでしょう。

    暗記はできるので定期テストではある程度の点数を取れるけれど

    実力テストになると特定の科目が極端に悪い子

    文章の理解をするスピードが遅い遅い子

    これらの原因が何なのか

    • 性格の問題か
    • 集中力の問題か
    • 興味のないことを覚えるのが嫌なだけなのか
    • 単に勉強のやり方が間違っているだけなのか
    • 精神的に不安定な状況にいるのか
    • 発達の途中で今できないだけでのちにできるようになるのか

    勉強ができない原因は何かは分かりませんが

    現時点では勉強をしても努力に見合う点数が取れていない

    ということは事実です。

    塾講師という立場から

    「この子は普通とは違ってかなりできる。平均では考えられないくらい能力が高い」

    ということがすぐに分かる一方(普通では考えにくい能力は目立つので、何人もの子を近距離で見ている塾講師にはその差がはっきりと見えます)

    1・2か月授業をしていると、場合によっては1回の体験授業でも、

    少なくとも現時点は勉強が苦手で、すぐには成績が伸ばせない可能性が高い

    と思われる場合も分かってしまいます(もちろん、専門家でない塾講師がそのような判断を勝手にしてしまうことは危険であることは分かりますが、複数の子をかなり近い距離で見てあげられる少数集団授業で指導をしていること、大学に入り直して発達障害について学び直し努力をしても勉強ができない子が現実に相当数いる(もちろん、今勉強が苦手なだけで発達・継続した努力によりできるようになることも考えられますし、現に急にできるようになる子もゼロではありません)ことが間違いないということを知ってしまったのに、それを知らないふりはできません。多くの塾はそれを口に出すと生徒を確保できなくなる、また、それは塾がかかわる問題ではないと判断しているはずなので口にすることはほとんどないと思います。が、しかし、全科目または特定の科目が極端に苦手な子が間違いなくいるというエビデンスがあるので、「だれでも努力をすれば学校の勉強ができる」という訳ではないことはほぼ確実に事実です)。

    その事実を見つめることなく

    「勉強しなさい」

    「やればできる」

    「できないのは努力が足りない」

    「やり方が間違っている」

    「とにかく勉強をさせれば成績は伸びる」

    といって

    塾に入れて勉強をさせれば何とかなる

    成績が伸びないからといっていろいろな塾を転々とさせるのではなく

    結果が出ない原因がどこにあるのか

    をできる範囲でかまわないから親自身が把握してもらいたいのです。

    できない原因を

    「勉強不足なだけ」

    「勉強のやり方が間違っているだけ」

    「努力をすればどうにかなる」

    という前提で考えている、もしくはそう思いたい、という気持ちは重々わかります。

    そして、必死に勉強をしている子を見て

    「なんでそんな点数を取ってくるんだ!!」

    と結果を見て呆れて、怒りを爆発させてしまう気持ちも分かります。

    しかし、本当にそれが子供にとっていいことなのかと思うのです。

    現状を考えてできる範囲で頑張ることが大切

    それは親も頭では分かっているはずです。

    結果がでないことに苛立ちを覚えるのは親だけでなく子供も同じです(努力をあきらめてしまう子もいる中、必死で頑張っている子を結果を見るだけで怒ることがいいことなのかと思うんです)。

    にもかかわらず、

    結果を見て

    親から

    激怒されたら?

    呆れられたら?

    このようなことを書くと、

    「どこの誰だか知らない他人のあんたが勝手なことぬかすな」

    と思われるはずです。

    そう思われることは分かっていても

    どれだけ勉強をしても成績が伸びない子に無理やり勉強をさせている人がいるとするなら

    その人に伝えたいんです。

    努力をしてもそれに見合う結果が全く出せていない子の親が

    「極端にできないかもしれない可能性がある」

    という視点で子どもを見てあげなければどうなるでしょうか。

    もし、努力をしてもできないのに無理やり努力をさせ続けてしまっているのだとしたらどうでしょうか。

    「自分はやってもできない劣った人間」と子どもに思わせてしまうかもしれません。

    そうならないために、

    思うような結果を出せ出せない場合は

    「極端に苦手な可能性があるかも」という視点をもって子どもを見てあげることが大切だと私は思います。

    学校の勉強が苦手なら、勉強以外で得意な部分を見つけてあげて得意なことを伸ばしてあげることもできるはずです。

    注意力が足りなく変なミスで実力に見合う結果が出せないだけの子(満点に近い点が取れる実力があるのに6割くらいになってしまうというような子)も当然います。だからこそ、なぜ思うような結果がでていないのかを把握してあげることが大切だと思います。原因を知ったうえで、改善ができることなら少しずつ改善してあげる。

    LDは勉強しても無理ですか?

    勉強以外を見てあげる

    「偏差値50は当たり前、60以上じゃないとダメ」

    「偏差値40台はダメ、30台などふざけるな」

    特に中学になると

    このように子供を評価する指標が学校の成績に偏ってしまいがちです。

    数値化できるものだけで子どもを評価すると

    学校の勉強が思うようにできない子がつらい思いをするだけだと思います。

    学校の成績を伸ばすために努力をすることは大切ですが

    学校の点数だけで子どもを評価するのはいかがなものかと…。

    点数化される学校の成績よりも

    点数化できないもののほうが多くあり

    点数化できない子供の良さを生かしてあげるという選択があってもいい(あるべき)と思います。

    勉強が極端に苦手であれば

    勉強をしたくてもどうにもならない場合があります。

    でも、勉強が出来なければ就職ができない・・・

    と思うかもしれませんが

    世間の誰もが知っているような会社に就職することは難しいとしても

    • 行動力
    • やる気
    • コミュニケーション能力
    • 人を引き付ける力

    こういう力があればs

    学校の勉強が苦手でも就職に困ることはないはずです。

    学校の勉強を全くするなというわけでもないですし

    最低限の努力はするべきだと思いますが

    自分の興味関心に基づいて本を読んだり体験を重ねることで

    必要な能力を手に入れていくほうが子供の心理的負担は軽くなるはずです。

     

    学校の勉強でよい結果を出すこと、学力があるということは、一つの能力にすぎません(大切で重要な能力であることは間違いないが)。

    学校の勉強が苦手なら、それとは違う能力を伸ばせばいだけなのに、成績にこだわりすぎのような気がします。

    特に、学歴のある親はその傾向が強いかもしれません(私の父は立命館大学を卒業し、国家公務員として霞ヶ関で働いてたのにも関わらず(官僚ではない)、兄弟そろってダラダラ生活していたので「バカは死ね」という言葉がでていたのでしょう)。

    百歩譲って、私の世代では学歴が大切だった時代なので学歴にこだわることは仕方ないにしても、

    今の時代は学歴の価値は相対的に下がっています(ただ、それがあることで有利に働くことは否定できない)。

    勉強で努力をしたことがない子は普通科への進学は勧めない