どういうネタが好きか

個人の感性によることが大きいとはお思うが

ネタを理解する力も必要

 

私が大学1年のとき明治大学に浅草キッドが営業に来た

大爆笑になったネタの直後

同じネタを専門学校でやったときに一切笑いが起こらず

シラ~ッとなった

ということを話題にしていた

一定以上の偏差値の大学と専門学校を比較したとき

専門学校の人たちはネタを理解する程度の頭を持っていない

というようなそこそこひどいことを・・・。

 

このとき「勉強をしないとお笑いで何を言っていることかすら理解できないのか…」と強い衝撃を受けたので

未だに鮮明に記憶が残っている。

 

 

生まれた時代によって人の感性は間違いなく変わると私は思っているので

私が面白いと思うネタを子供たちが面白くないと思うのは仕方がない

ただ、感性がどうのこうのとかいう次元ではなく

何を言っているのか理解できないから面白いと思えない

というのだとしたら仕方がないとは思えない。

 

何が面白いか私には全く分からない若手お笑い芸人が(もっと面白い若手はたくさんいるのになんであのコンビとあのコンビが?)

冠番組を持てるほど人気があるの?と思ってしまう(ま、これは塾講師になってからずっと感じていることなので、今更何かが変わったという分けではないのだが、本当に何が面白い丘分からない芸人が出てきては消えの繰り返し)。

言葉を理解していなくても、なんとなくやっていることが面白そうだから面白いとしか思えないようではちょっと怖い。

 

 

別に学校の勉強なんかしなくてもいいけど

何もしないでただその日を楽して生きてきた子が大人になったとき

そこそこの努力をした子が大人になったとき

同じ人間なのに会話が成立しない・・・

なんてことが

今でも頻繁に起こることだが

今以上に起こると思う

できる人とそうでない人が2極化し(現時点でも2極化が見られるが、今後はさらに輪をかけて。そういう自分の世代も大人から「今の子は勉強が出来なくなった」と言われた世代でもある。というか、上の世代から「今の若い子は」と言われない世代は一生来ないのだろうが…。これは社会の構造が変わりまくっているから価値基準が異なるから来ることなんだと思う。ただ、科学技術がここまで発展してしまい、何か知らんがポチポチ押していればお金をかけずに1日中楽しめてしまう現代社会において、自分の意志で何かを学ぶ経験を積んだことがない、能力を高める努力をしたことがない人の絶対数が増えている気がする(実際は違うかもしれないが)。人が本当に何もできない人間が大量につくられることになる)。もし、そういう人が増えてしまえば、搾取されるためだけに生きる大人にが溢れる可能性が高くなると思う。

 

 

同じようなことを感じるのは、質問の質。

大学受験に関して、

それ質問する?

と思ってしまうことを質問しているものを目にすることがある。

 

別に学校の勉強なんかしたくなくてもしなくていいが

 

普通に読めばわかる内容

 

たとえば

大学入試の入試要項

に書かれてあることすら読めない状況って…

 

社会で生きていけるのか?

 

と不安になる。

 

そういう質問をする人が多くいるのを見ると

公的文書のようなものを読ませる国語の問題を出したいと思う人が出てくるのもうなづける。

 

言葉だけを拾い読みするからなのか

今の状況では国立大学に合格できない、勉強のやり方を間違えている可能性が高いから勉強のやり方を変えないといけないと思う

という励ましのつもりで書いた返答の

「国立大学に合格できない」

という部分しか読まずに(読めずに)、

ブチ切れる子がいるのも事実(子どもに何かを教える立場にいなければ「文章が読めない子がいる」なんてことを想像する人はそういないと思うが、おそらく思っている10倍くらいは文章が読めない子がいると思う。子供だけでなく大人の中にも文章を読めない人がいるかもしれない)

そのような状況であれば、少なくとも大学入試レベルの国語・英語の問題をまともに解けるようになれるわけがない・・・。

 

私の感覚でしかないが、文章を読めない子は確実に増えていると思う。

ということは

少なくとも今の子たちが私が学生だった30年ほど前の人と同じ程度の努力が出来れば

それだけで超人と思われるくらいの能力を身に付けられるのかもしれない。