ツイッターを見て
やる気はあるけど・・・勉強をする気にはならない
なにかその表現に矛盾を感じられるが
そうなってしまっている時点で受験生としては終わりに近づいていると思ったほうがいい
そんな つぶやきを見ると
やる人は何も言わずにやっている
勉強をする気にならないのなら受験止めればいいんじゃない?
と思ってしまう。
本気で合格したいと思うなら
合格するために現時点で自分の実力が不足していることが分かっているのなら
やらないでどうすんの?
そこが合格できる人と合格できない人の差
ただなぜやらなくてはならないと思っているのに行動に移せないのか?
おそらく
「必死にやって不合格になったらなんか勉強した時間がもったいない」
なんて思うからだと思う。
確かに
必死にやったとしても合格できない人はいるが
結果的にそうなってしまった子は
合格できないかもしれないという不安と戦いつつ最後までやり続ける(ただ直前1・2週間になってしまうと、もう無理だ…と思ってまったく勉強が手につかない人は相当数出てくるとは思う)
とにかく、合格するために必死になる。
合格できるかどうか微妙なラインにいる場合
上記のような至らない考えが浮かぶ気持ちは分からないでもない
が、しかし
そこでやれる人とやれない人
おそらくそれは
勉強ができるできない以上に重要なことだと知ったほうがいい。
なぜなら
受験勉強ですら必死になれない人は
勉強以外のことでも結局何らかの言い訳をして逃げ続けるはずだから
「いや、自分は自分が本当にやりたいことが見つかればそれに向かって必死になれる」
なんて反論がされるとは思うが
確かに中にはそういう人もいるとは思うが多くはそうはならないと思う(私の経験でしか語れないのでそれが絶対とは言えないが、人間的にいい悪い、頭がいい悪いとかではなく、努力ができるかできないかという面において偏差値30台と60台の大学の学生の質は本当に違う。勉強すらできなかった人はそもそも「自分がやりたいこと」を見つけることも難しいように思えた。また、高校時代の知り合いなど誰一人就職せずフリーターになっていた。なお、勉強以外にやりたいことが見つかっているのなら受験勉強よりもそれを重視し、それに力を入れればいいと思う。やりたいことが見つかっていない高校生は受験勉強を利用して、やらなければならない?やっておいた方がいい?と思えることにとりあえず必死に努力するほうがいいというだけ。塾講師が言うことではないと思うが、受験勉強で得た知識がそのまま将来役に立つなんてことはほぼないので、受験は知識そのものではなく、やらなければならないときにやれる人になるための訓練でもあると思っている)
個人の能力差っていのうはそういう部分も含めてのこと
継続して努力ができるというのは
努力した内容ではなく努力したことそのものに意味がある(少なくとも高校を卒業するまでは。それ以降は「努力はするがその方向性が間違っている」ようでは人生を無駄にするだけ、自分にとって何が必要なのか、自分で考える力が必要になってくる。だから、そういうものを中学高校時代に可能な限り身に付けることが、勉強で結果を出すのと同様、大切)