公立の小中学生8.8%に発達障害の可能性 文科省調査

何とも言えない…。

わずか10数年でこんなに割合が増えるなんてことは考えられないので

記事に書かれてあるように気づかれていなかっただけ?

 

ただ、睡眠が人間の脳に影響する可能性が高いと言われているので、今の日本人の生活スタイルが影響して数字が急上昇した可能性がないとも言えない(高くなったといっても、そもそも元の6%が信用できる数字とは思えません。専門家が集団内でなく個別に子供たちに触れる機会があれば、8.8%という数字が倍くらいに跳ね上がるかもしれません)。

 

発達障害に関してずっと気になるのが

日本に住んでいたら発達障害と診断される子が他の国でどう診断されるか。

診断は世界標準があるからどの国でもそれを参考にしているのだろうが、どうも腑に落ちない。

 

 

 

これ以降の内容は私が大学の心理学科に入り直す前からずっと思っていたことです(思ったことをつぎ足しで書いているので読みにくいと思います。そしてこの悩みは過去のものではなく塾講師を続けている限り一生悩み続けることだと思います。塾が発達障害について触れてしまえば、生徒の集まりは確実に悪くなる(「成績が伸びないことを生徒のせいにしている」とほぼ確実に思われますし、かなりの確率で何か面倒な塾だと思われますし)ことは分かっていますが、私の性格上これを隠して指導することはできないので、隠さず書いています。勉強が苦手だからといって、努力をしなくていいと言っているわけではないですし、人間性を否定しているわけではなく、苦手な部分を認め、できる部分(「できる部分」は学校の勉強に限らないその他の部分を含め「できる部分」)を伸ばしていくほうがいい、極端に勉強が苦手だと思える場合、学校の勉強に力を注ぎ過ぎることがプラスにはならないのではないかと私は思っています。ただ、学習障害は少なくとも小学生4・5年生くらいまでは判断するのが難しいと思います。中学1年生くらいになれば、学習障害かどうかは別として、勉強が苦手かどうかは見えてくると思いますが、それが単に発達途中だからということも考えられます。勝手な判断はしてはダメですが、努力に見合う結果が出ていないのなら、怒るのではなく、なぜ結果が出ていないのかを見てもらいたい。私は30を過ぎたころ塾を一度閉めて大学に入り直し、発達障害について学び直しました。だから何?と思われてもいいですが、他人事として何も悩まずに適当に「発達障害」という言葉を使っているわけではないということは、分かってもらいたいです。)。

 

 

発達障害のうち、学習障害・軽度知的障害だけは一定の年齢を過ぎた時に検査をすればはっきりと分かると思う。

極端に勉強が苦手という場合、勉強に向ける努力を別のものに向けたほうがいいというのが私の考え。

努力をしても

その努力が他の多くの人であれば100になるところ1にしかならなければ

他の人の100倍努力をして周りと同じになる(それは物理的に不可能だし、努力が積みあがって1が100になればいいかもしれないが、いつまでも1のままだということもあるしできるようになるとしても10くらいのことだって考えられる。もちろん100になる可能性がないとは言えないが、どうなるかはわからない。そこで不安になるのならやはり検査を受けたほうがいいと思う)。

 

ただ、勉強が極端に苦手といっても、すべてにおいて何もできないということはそこまでないはず。

文章を読めば理解できるが口頭による説明をされても理解するのが難しい

図形認識が極端に苦手

bとdなど似たような文字を区別することが苦手(英語圏でディスレクシアが10%以上いるみたいだが、日本はひらがな・漢字を使うので実際にディスレクシアなのに気づかれていないだけの可能性もある)

思うような結果が出ていないけどそれでもあきらめずに頑張り続けさせたいのなら

苦手な部分をしりそれをいかにして補うか、改善できるのなら改善させるか

とか

得意な部分を知り、それを伸ばすように方向づけることが大切。

 

周りの多くが当たり前にできていることが自分にはできない

それはそれで傷つくから、努力を続ける

でも結局ほとんど何も変わらない。

どうあがいてもどうにもならずに辛い状況が続く。

だから、そういう状況にあるのなら、その状況を知ったうえで

声をかけてあげる

認めてあげる

それが大切だと思う

「できない」のかもしれないと思ったら間違いなく辛く苦しいしい。

当然それを認め受け入れることも難しいかもしれない

できないものをやり続けてもずっとできないままなので年齢を重ねるごとに不安は増してくる。

 

ただ、そうであっても

できない部分を受け入れてもらい、できる部分で努力をしろと言ってくれる大人がそばにいるだけで間違いなく不安は減ると思う。

できないことに気づいてあげようとせず、「とにかく頑張れ、頑張ればできる」できなければ「情けない」「なんでもっと努力しない」「やり方が違うだけだからもっと工夫してやれ」と怒られれ続けると辛さと不安は増してくると思う(怒るだけで、具体的に何をどうすればいいのかを伝えその通りにやらせればいいのにそれをしない、暗記や理解ができていない状況を知ろうともしないのはおかしい)。

 

このサイトで何度も触れていることだが

学校の勉強ができるかできないかで人間の価値が決まるわけではない(高度経済成長期において偏差値の高い大学に行くことである程度将来が保証されていた時代で亡くなった今、極端なことを言えば学校の勉強などできなくても、何とかなる。学校の勉強ができることで自分がやれることの幅を広げられることは間違いないが、努力をしても学校の勉強ができない可能性がものすごく高いのに、学校の勉強をし続けたところで可能性は広がらない。広がらないどころか「自分は何をやってもできない」と、実際には周りの人にはまねができない素晴らしい能力を持っているのにそれに気づくことすらできず、自分を卑下し続けることになってしまいかねない)。

 

仮に勉強が苦手だとしても、勉強が苦手なの発達途中だけの可能性も十分考えられる(特に小学生のときの能力はあてにならない。多少勉強が出来なかったとしても努力をし続けることは大切。ただし、できなさが極端すぎて不安な場合は検査してもらったほうがいいかもしれない)。

 

なので中学生までは可能な限り努力をする必要があると思う。

努力に見合う結果がでない場合は、なぜできていないのか、何が苦手なのか、工夫次第で改善されるのではないか、といったことを見てあげるべき

テスト前に何時間も勉強をしているのに平均点を取ることが出来なかった子に「なんでこんな点数を取るんだ」といったとしても、本人が辛くなるだけ。