もともとの学力によって全く違ってくるので大変だと思います
私のように中学で偏差値30台、福岡大学に合格するのも不可能に近いという実力から明治に合格したら、明治レベルの大学でも自分で自分を凄いと思え、コンプレックスを抱くことはありませんが(早稲田に合格できていたらな~とは思いますがコンプレックスは抱きません。そう考えると中学時代勉強をさぼってきた人って高校に入ってから本気で努力すれば、それまで必死になって勉強をしてきた人からすればコンプレックスを抱くような大学であっても「自分で自分の人生を変える」ことすらできるのだから、ある意味ラッキーなのかもしれません)
中学の時に学年トップ、高校も地元トップ校に進学した人であれば西南ですらコンプレックスを抱くはずです。
東大しか目になかった人は一般的に世間から見て超すごいとしか思われない早稲田でさえ自分はおろかだと思うかもしれません。
でも、周りの評価ってそんなに大切ですか?
自分が自分の人生をいいと思えるには学歴の良し悪ししかないのでしょうか?
私は九産でも福大でも西南でも明治だろうが早稲田だろうが、後になって考えてみればどうでもいいことだと思えるんです(ただ、個人的には、どうせ大学に進学するのであれば、できるだけ偏差値の高い大学に入っておいた方がいいと思っています)。
学歴は決まってしまったら私のように3回も大学に入り直すなんてことは普通はしないので変えようがないものです(大学院で東大・京大を目指すという手もありますが)。
悩んでも仕方がないのなら、大学名で他人と自分を比べ続けたら自分が辛くなるだけです。
福大卒で何十億の年商を出す企業を1代で築く人と
九大に合格したけどフリーターで終わってしまう人
どちらが幸せですか?
どちらが幸せかは人によって違ってくるかもしれませんが
私がどちらかになれるとすれば前者の方になりたいと思います(前者が「福大卒です」と言っているのを見て後者が「福大のバカが俺は九大卒なんだおれの方が凄いぞ」という場面を想像したら後者はむなしいだけですよね)。
学歴は一生残るものですが、それに一生こだわり続ける人ほどダサいものはありません。
大学を卒業してから何十年も経つのに未だに自分が卒業した大学よりも偏差値が低い大学のことを「そんなバカな大学行く意味ない」なんて親がいるのは知っていますが
学歴だけしか頼るところがない人は相手にするだけ自分がバカになるだけです。
明治しか卒業してない私が言っても説得力がゼロかもしれませんが
九産だろうが福大だろうが西南だろうが九大だろうが
自分が幸せになれるかどうかは学歴は関係ありません。
進学する大学が決まってしまった今
やるべきことはこのままだと自分が辛いと感じ続けてしまうであろう学歴コンプレックスを振り払らえるくらい
大学で面白いことをやるしかありません。
社会に出たら学校の勉強ができるかどうかだけではありません。
学歴なんか関係なく周りからすごいと思われる自分になればいいだけです(人の目を気にしなければそれで問題ないのですが、一度抱いてしまった学歴コンプレックスはそう簡単に払いのけられないので、自分が納得できる評価を周りからしてもらえるようになるしか道はないはずです)。
大学で遊び続け社会で生きていくための力を高めることが出来ず
起業もできない、人手が足りずだれにでも変わりが効く仕事に嫌だけど仕方なく就くことになった
という場合は学歴コンプレックスは一生ついてくると思います。
学歴しか見ないのがどれだけダサかろうが
世間は学歴を見てくるのは確かです(学歴コンプレックスを抱いている人はその人自身も学歴が気になっているはずです。それと同じように世間も学歴を見る人が一定数います)。
そうなりたくないのであれば、やっぱり大学で頑張るしかありません。
でも、もともと勉強をせず学校の勉強が出来ていなければ
将来
あ~大学は卒業しておけばよかった、勉強しておけばよかったと悔しがることはあっても
強い学歴コンプレックスなどを抱くことはないはずなので
勉強をしてある程度成績が良かった人は悩みの種を自分で作ってしまうという点で辛いと思います。
学歴で一生コンプレックスを抱いてしまうかもしれないと思う大学受験生は
自分が納得できる大学に合格できるように頑張りましょう。