私が塾を始めた2006年はLD・発達障害という言葉を知っている人はほとんどいませんでした。
発達障害者支援法の成立により、今では言葉を知らない人がいないくらい浸透しています。
しかし、「発達障害」という名前だけが独り歩きしているような気がしてなりません(2016年5月に改正法が成立したことで今の流れが変わることを期待します)。
このサイトを作ろうと思ったとき、専門家でない私がどこまで「発達障害」について触れるべきか迷いました。
というのは、本来であれば専門家でない私が発達障害のことを書くべきではないことを私自身が分かっているからです。
しかし、このサイトにたまたま訪れた人が「発達障害」について考えるきっかけになればと思い、可能な範囲で「発達障害」について触れることにしました。
発達障害が気になってサイトでいろいろと検索をするだけで専門家に相談することをためらっている人もいると思いますが、支援が受けられるのであれば、早めの支援を受けることを勧めます。
目次
サイト
発達障害に関する専門家でない私が書いてある内容は鵜呑みにしてはいけません。
「発達障害関連することを書いているのに、何言っているんだ」と思われると思いますが、
読まれる方は「そういうこともあるのかもしれない」という気持ちで読むようにしてください。
「発達障害に関連する記事」をUPしたので参考にしてください。
発達障害は親の育て方は影響する?
「発達障害になる原因は親の愛情不足や育て方が悪いからだ」と勘違いされていた時期があります。
現在の研究結果で「愛情をもって育てれば発達障害になることは絶対にない」とは言えない、「愛情をもって育てても発達障害と診断されることはある」ということが分かっているみたいです。
現在、発達障害は多因子遺伝病と推測されています。(この点は誤解が生じやすい箇所です。私を含め専門家でない人は「遺伝する」ではなく「遺伝しないわけではない」と捉えるにとどめ、原因論を深く考えるべきではないと思います。)
親の育て方が原因で発達障害になることはないことは研究結果を考えるとほぼ間違いないことだと思います。
しかし、親の育て方が発達障害に影響を与えることはあります。
世間ではこの部分が間違って捉えられているかもしれないと少し不安です。
つまり「もともと発達障害の特性を持っていれば、どれだけ愛情をもって育てても発達障害の特性がでてしまう。」そういう意味では親の育て方のせいではないのであり、「親の育て方が子供に影響を与えない」というわけではないのです。
実際に、親の育て方が適切でなければ子供に発達障害に似た症状がみられることはよくあると言われています。
また、もともと発達障害の特性を持った子は育てることが難しい場合が多いともいわれています。
育て方が難しいことから親が育児・子育てにストレスを感じやすくなるかもしれません。
不適切な、場合によって虐待と思われるような育て方をしてしまう可能性もあると思います。
定型発達の子を育てるよりも子育てが困難なことが「親の育て方が悪いから発達障害になる」という誤解にもつながっているかもしれません。
ちなみに、アメリカの精神分析家であるブルーノ・ベッテルハイムの根拠のない仮説が世間に浸透したことで「発達障害(自閉症)は親の養育態度が原因である」という間違った理論が正しいものと誤解されるというのが一つの経緯と言われています。
発達障害は理解されない?
「発達障害を理解して」という言葉を聞くことがあります。
私がきれいごとを書くことができる性格なら「みんなは平等、発達障害ならちゃんと理解して接してあげるべき」と言うと思います。
しかし、発達障害の特徴によって異なりますが、その特徴によっては理解するのは難しいと思います。
発達障害は別として、次のような人がいたらどう思いますか?
- 感情のコントロールができずにいきなり怒り出す
- それをいったら絶対に人を不快にさせるということを平気で言う
- 異性との距離感をつかめず怖い思いをさせる
- お風呂に入らずに悪臭がする
そのような人を「発達障害だから」という理由であなた自身が許せるでしょうか?
少なくとも、自分の思い通りにならなく一人でイライラしている人を見ると不快になります。
気に障るものの言い方をされたら腹が立ちます。
それが発達障害が原因だと分かったからといって「じゃあ、理解してあげなくてはいけないな」と思えるほど、私は人間ができていません。
大人でも理解が難しいことを、子が許るせるとは思えません。
「何こいつ、ムカつく」、「怖いから近づきたくない」と思うのではないでしょうか。
直せない
発達障害は脳機能の偏りと言われており、その偏りは生涯続くと言われています。
直そうと思っても直すことができないのであれば、その特徴を把握し、学校・社会生活を送りやすくするために得意な部分を生かして苦手な面を補うことで対処するべきだと思います。
「あれもできない、これもできない」ではなく、「何ができて、何ができないか、何を活かすか」を考えるべきだと思います。
自立をするために、今、本当にやるべきことが何かのかを考えて子育てをしていくべきだと思うのです。
専門家でもない単なる塾講師が無責任なことを言っているんじゃないと思われ方もいると思います。
親が子を成長させる
発達障害が原因で引き起こされる状況は世間から理解されにくいのが現実です。
きれいごと抜きに言えば、それは、絶対に変わりようがありません。
だとすれば、発達障害が原因で社会で生きにくくなるような特徴が子供に見られるなら、親が子育てによって減らしていく必要があると思うのです(もちろん一人の力ではなく必要な支援を受けながら)。
親が子供を社会生活がしやすいように成長させなければ、結局は困るのは子供です。
「発達障害だから理解して」「なんで理解してくれないの」と思うのではなく、
「人と適切に関われるように少しずつ成長させる」もしくは「子供が生活しやすい環境を作ってあげる」
そのように考える方が
他人に分かってもらうことを期待して「なんで理解してくれないの」とマイナスな思考をしなくなると思います。
併存してみられるケースが多い
発達障害(ASD・LD・ADHDなど)は複数の疾患が同時に現れることが多いといわれています。
併存している場合は、症状の中で特に重い特徴の診断名が付けられるみたいです。
一般的に幼稚園児は多動性・衝動性が強く表れます。
ですので、幼稚園のときはADHDと診断されやすく、成長するにつれ自閉症の特徴が強く現れるようになりASDと診断名が変わることもあるようです。
併存しているとどうなの
自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥多動性障害(ADHD)が併存している場合、社会性を身につけることが困難になるといわれています。
ADHDの症状だけであれば、自分の衝動的な行動が人を不快にさせていることに気付いているかもしれません。
気付いているのに、それをコントロールすることができないという場合もあるはずです。
そこに、相手の気持ちをつかむことが難しいというSADの症状が加わると、人を不快にさせていることに気付かず好き勝手なことをしてしまうかもしれません。
そうなると、自分では悪いことをしているとは微塵も感じていないので、「自分は正しく相手が悪い」と思ってしまうのです。
このような態度が大人の社会で通用するわけがありません。
社会生活が困難になる可能性もあるはずです。
ADHDと学習障害(LD)が併存している場合、集中力がないことに加え学習能力の一部に問題があるので学校の成績が悪くなりがちです。
仮にADHDだけなら、薬によって症状を抑えることができますが、LDには治療薬がないのでADHDの症状を抑えたとしてもLDを改善させることは難しいです。
このように、発達障害が併発していると一つの症状が改善されたとしても別の問題が残ってしまうこともあり、単独の場合よりもより困難な状況にあるのです。
親も発達障害の可能性
発達障害は遺伝しないわけではないので、場合によっては発達障害の子を持つ親も気づかれていないだけで発達障害の特性を持っている可能性もあります。
発達障害の場合、精神的な問題を抱えていることが多いと言われています。
子育てはこうあるべきだという強迫観念、子どもを持つことで環境が全く変わってしまうことへ適切な対応できない、場合によってうつ病を発症し子育てがさらに難しくなるかもしれません。
子育てに悩むようなことがあれば適切なところに相談をし、何らかの対応をする必要があると思います。
LDと知的障害
発達障害と知的障害の関連は曖昧です。
①発達障害の一タイプ(LD)として知的障害を捉える考え方
②知的障害、知的障害のある発達障害、知的障害のない発達障害と分ける考え方
③知的障害と発達障害を全く別のものとしてとらえる考え方
があります。
ネットや本などで発達障害・知的障害について触れているものを見ると、用語の定義があいまいで発達障害と知的障害がごちゃごちゃに書かれいることもあるように思えます。
ごちゃごちゃに書かれてあるものを可能な限り的確にとらえられるように、障害者自立支援法における「発達障害」の定義と、DSMにおける「知的障害」の定義を知っておくとよいと思います。
発達障害者支援法
発達障害者支援法では「発達障害」を
自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
と定義しています。
ここには「知的障害」という言葉が使われておらず、「その他これに類する~」の部分に知的障害が含まれるかどうかあいまいになっています。
これが発達障害と軽度知的障害の判断の曖昧さを招いている原因のひとつかもしれません。
DSM
DSM-5では「知的障害」は知的機能(言語理解・記憶判断・情報処理など)・適応機能(同じ社会で生活している同年齢の人と比べ、個人の能力・社会生活に問題がないか)の両方に欠陥がある障害と書かれています。
具体的には、IQが65~75よりも低く、且つ、社会に適応することが困難であるかないかを判断基準にするそうです。
症状が似ている
発達障害と一言にいっても広汎性発達障害・ADHD・学習障害なのか素人に判断できるものではありません。
また、発達障害と知的障害の症状も似ている部分も多くあるのでそれらの区別も素人には絶対にできません。
知的障害は読み書きが困難だけでなく、知的能力全般の発達に遅れがあります。
LDの場合は読み書きが困難であっても、知的能力には大きな遅れはありません。
しかし、知的能力に遅れがあるかどうかなど素人が判断できるわけがありません。
サイトなどの情報を自分の都合のいいように解釈し勝手な判断をするのは危険です。
勉強しなくても良い?
このサイトには「勉強はしなくてもいい」という表現をしている個所がいくつかあります。
しかし「全く勉強をするな」という意味ではありません。
状況によっては定型発達の子の何倍も努力をしても同じような結果を出すことが難しいのに、勉強を強いることの悪影響も考えるべきだということを言いたいのです。
「自分はやってもできない、ダメな人間だ」と自分を否定的に捉えることしかできなくなっては、自分が持っている優れた能力を見つけることも難しくなるかもしれません。
定型発達の子と同じではなく、自分の能力の範囲内で「やればできる」と思わせることが大切だと思うのです。
私を含め人間は「今ここ(現在・現状)」だけを見てしまう傾向があります。
予測し得ない将来ではなく、「今ここ」で起こっていることだけを見てしまいます。
「今ここ」だけを見ると、学校の成績だけが気になり、周りの子と同じことができない現実をどうにかしようと、子どもに無理を強いてしまうことになりかねません。
しかし、子育ては「今ここ」よりも「将来(自立・社会に出る・自分で飯を食っていく)」を考えて行う必要があるはずです。