「自分が卒業した大学よりも偏差値の低い大学に通っている奴らはバカ」
「子供は勉強だけしておけばいい」
という考えをしている人に出会ったとき
それは違うだろ・・・
と、以下の記事を書きました。
目次
学歴は確かに大切だけど・・・
「学歴は大切ですか?」で書いた内容と矛盾していると思われるかもしれませんが、
「1日5時間以上の勉強を小学4年生から高校3年間の9年間しなければ東大に行けないというのであれば、高校3年の1年間だけ必死に努力をして早稲田に進学したほうが賢い」
「勉強漬けの生活を何年もしなければ早稲田に行けないというのであれば、1年間だけ必死に努力をして地方の中堅私大に進学したほうが賢い」
別に誰もが東大・京大・旧帝国大を目指す必要はないし、
勉強はするのは当然だけど、勉強だけで終わってしまうのは違うかな・・・と
「ひたすら勉強をして、できるだけ偏差値の高い大学に進学すべき」
と
かつて思っていた私が、
「最低限の力能を持っていさえすれば、自分が納得できるなら、大学の名前などたいした問題ではない」
と思うようになりました。
もちろん
「勉強をする意味」で少し触れたように
できるだけ良い環境に自分を置くため、ある程度の大学に合格できる力を普段の勉強で身につけることは一つの方法だと思いますし
高校3年の1年間は受験勉強に徹し、自分が行きたいと思っている大学に進学すべきだと思います。
しかし、
「学歴だけに固執して、これからの社会を生きていく子供たちにどれほどの価値があるのか?」
「勉強漬けの生活を何年もさせ続け、高偏差値の大学に合格できたとしても失うものが多いのでは?」
と思ってしまうんです。
勉強は大切ですが勉強だけでは自分の人生に面白さを感じるのは難しいんじゃないかと・・・
友達と遊ぶ時間、趣味に使う時間すべてを犠牲にして、手にするものは「学歴」だけ・・・?
違うな・・・と。
そんなことをして、何が正解なのかが分からなくなってきた社会で生きていけるのか・・・
バランスが大切だと思います。
ポスト産業社会
大量生産・大量消費社会が終わり(よく耳にするポスト産業社会、知識基盤社会)、
自分の考えを持たず、言われたことを言われた通りにできる人が求められていた時代が変わり始めているかもしれません。
日々変化する多様化した個人の価値観に合う何かを生み出し続けなければならない社会で、
はたして、言われたことを言われた通りにできるだけの人が求められるのでしょうか?
ここ数年で誰もが一度は耳にしたことがあるだろう
「AIが人間にとって代わる仕事」
の多くは、
「言われたことを言われた通りにすればできる仕事」
のはずです。
そうだとすれば、
「ロボットみたいに人から言われたことを言われた通りにする能力だけに長けた人」
が
どのように扱われるようになるか、想像に難くないはずです。
そうならないように、子供たちを勉強バカにさせてはいけません。
「勉強しなさい」
と無理やり子供を勉強漬けにさせるのではなく
自分なりに勉強をする意味を考え子供たちに伝えていきましょう。
子どもたちを納得させることは難しいかもしれませんが、
そうすることが
子どもたちが自分の意志で勉強をするきっかけになるはずです。
子どもたちがこれから求められる能力?
どんな能力が必要なのかは人によって異なってくると思いますが
知識を増やすための「暗記力」
学校教育において重視すべき三要素として挙げられている「思考力・判断力・表現力」
どれがタネ本なのか分からないくらい使われている表現である「問いを立てる力」「情報編集力」「他者と課題設定をし解決する力」
そして「学び続ける力」
これらの能力はないよりあったほうがいいと思います。
これが、本田由紀さんが言う「ハイパー・メリトクラシー」とでもいうのでしょうか?
暗記中心の勉強をして「学歴」を手にしたとしても、それだけではどうにもならない時代になりつつあるわけですね。
なんだか不安ですね…。
でも、これらの能力を10代のうちに身につけておけば、
社会に出た時に自分の興味関心に基づいて仕事を探すことができるようになりますし
生きていることが面白く感じるようになるはずです。
なんだか話の方向が変わってしまったので、終わります。