子どもたちがこれから求められる能力|学歴が高ければいいのか?

学歴はそんなに大切ですか?」では、一般就職をするためには学歴が大切かもしれないということを書きました。

しかし、学歴さえよければそれでいいのでしょうか?

  1. 学歴だけでいいの?
  2. 子どもたちがこれから求められる能力
  3. 学びカフェ(こども哲学)

学歴だけでいいの?

「学歴はそんなに大切ですか?」で書いた内容と矛盾していると思われるかもしれませんが、全ての人が東大・京大・旧帝国大を目指す必要はないと思います。

「1日5時間以上の勉強を小学4年生から高校3年間の9年間しなければ東大に行けないというのであれば、高校3年の1年間だけ必死に努力をして早稲田に進学したほうが賢い」

「勉強漬けの生活を何年もしなければ早稲田に行けないというのであれば、1年間だけ必死に努力をして地方の中堅私大に進学したほうが賢い」

「受験勉強の時間を意識的に有限にし、浮いた時間を利用し受験勉強とは直接関係ないかもしれないが(結果的に影響するかもしれない)、いろいろな経験をしたり、答えのない問題を仲間で話し合い自分なりの答えを出してみる方が賢い」のでは

少なくとも塾を始めた10数年前までは「受験勉強を必死にしてできるだけ偏差値の高い大学に進学すべき」と思っていた私が、

今では

「最低限の力能を持っていさえすれば、大学の名前などたいした問題ではない(自分が納得できるなら)」

と思うようになりました。

もちろん、できるだけ良い環境に自分を置くため、ある程度の大学に合格できる力を普段の勉強で身につけることは一つの方法として大切だとも思っていますが

学歴だけに固執して、暗記だけの勉強をやり続けることが、これからの社会を生きていく子供たちにどれほどの価値があるのか?

結果として偏差値の高い大学に進学できるならそれに越したことはないが、勉強漬けの生活をさせてそれを達成したところで失うもののほうが多いのでは?

このように思うようになったのは、大量生産・大量消費社会が終わり(よく耳にするポスト産業社会、知識基盤社会)、言われたことを言われた通りにできる人が求められていた時代が変わり始めているかもしれないからです。

日々変化する多様化した個人の価値観に合う何かを生み出し続けなければならない社会で、はたして、言われたことを言われた通りにできるだけの人が求められるでしょうか。

ここ数年で誰もが一度は耳にしたことがあるだろう「AIが人間にとって代わる仕事」の多くは、「言われたことを言われた通りにすればできる仕事」のはずです。

そうだとすれば、「ロボットみたいに人から言われたことを言われた通りにする能力だけに長けた人」がどう扱われるようになるか、想像に難くないはずです。

また、会社に属さず自分の力で生きていくのが当たり前の社会になることも考えられます。

そうなったときに、人の指示に従って言われる通りのことしかできないが、自分で考え行動し、自分らしく生きていくことができるでしょうか?

「何をしたいか分かりません」

「答えのある問題をください」

そんなことを言っても誰からも相手にされない時代がくくるかもしれないのです。

ただひたすら最終学歴を重視し、「自分が卒業した大学よりも偏差値の低い大学に通っている奴らはバカ」という考えをしている人がいるとすれば…、

これは公務員で一般常識がなく、しかも霞ヶ関で働いていたという優越、上から目線が強く、社会の流れに気づくこうともしない私の父親の考えなのですが、

彼は定年前に医療関係の職場にいたらしく「〇〇大学のバカ医学部卒が」とも言っていましたが(時代的に学歴を重視するのは仕方がないかもしれないが)、私からすれば「あんたの方がバカだよ」と言いたいです。

もし、今の時代、同じことを父親が言ったとすれば「あんたの考え古すぎ。先が見えない時代に学歴だけで優越感もってどうする。東大・京大をはじめとする旧帝国大に合格できるような頭がなく、偏差値60台の私大卒しか卒業してない、しかも公務員で一般常識のない奴が人を馬鹿にできる立場か」と言うと思います。

おそらく、私の父のような考えを今現在持っている人がいるとすれば、これからの変化に気づけず、ひたすら知識をつけるだけの勉強が大切だと思い続けるはずです(気づいていたとしても学歴をできるだけ良くすることしか方法が考えられないのかもしれない)。

ただ、このような私の父に対する批判は、今現在、社会が求めていることと少しズレているかもしれません(分かっていても、今の受験制度を考えると結局は暗記をさせるしかなく、且つ、学歴で能力を判断されがちな世の中だから)。

そして、これを塾講師として言うのはマイナスであることも分かっています。

しかし、今の子供たちの10年・20年後を考えると、今のままの教育ではダメな可能性が高いと思っているのに、それを隠して定期テストのためだけ、受験のためだけに勉強をさせることが大切だと子供たちに言うことはできません。

受験のためだけに勉強をさせてしまえば、単なる手段でしかない学歴が目的になってしまう可能性がないとも言えません。

高校・大学に合格した時点で目的が達成したので「じゃあ、それから何するの?」と子供が思ったときに、

「いや、それは自分で考えてよ」と、

暗記ばかりをさせ続けられていた子にいきなり自分で考えてと言っても、力能がもともと高い人なら問題ないかもしれませんが、そうでない人にとってはたまったものではないはずです。

だから、そうならないように、大きな教育改革が現在進行形で行われているのではないでしょうか(成功するか失敗するかは分からないが)。

おそらく、小学校・中学校で新しいことを実践しようとしている20代・30代の若い教諭の中には、組織にいるがゆえにしたくてもできない歯がゆい気持ちを抱えている方もいるはずです。

子どもたちがこれから求められる能力

これから必要な能力は、学校教育において重視すべき三要素として挙げられている「思考力・判断力・表現力」

どれがタネ本なのか分からないくらい使われている表現である「問いを立てる力」「情報編集力」「他者と課題設定をし解決する力」

もちろん、知識がなければ自分で考えることなどできないので、「暗記力」も重要です。

つまり、今までは「暗記力」が重視されるだけだったのが、知識を基にいろいろと自分で考えられる能力や他者とコミュニケーションをとる脳力まで要求されるようになっているというわけです。

そして、その能力の基盤になるのは「自分で学び続ける力」だと私は思っています。

「学びたい」という気持ちがなければ、何も始まりません。

これは、テストのために嫌々ながら勉強をさせていては、身につくどころか、何のために勉強をしているのか分からず、勉強嫌いになりさえもします。

小さいころから自分で物事を考える癖をつけていれば、勉強をすることの重要性を自分で気づくことができ、何も言わなくても自分のために勉強ができるようになることが理想です。

あとは、超高学歴でもワーキングプアになる人もいれば、中堅私大卒で年収何千万の経営者もいるんですから、

お金がすべてではありませんが、これからの世の中生きていくためには学歴だけではどうにもならないということを子どもたちに伝えていくことも重要だと思います。

途切れ世代

学びカフェ(こども哲学)

しかし、「言うは易く行うは難し」です。

また「こうすれば100%確実に期待通りの能力を身につけられる」という教育方法はありません。

100人いれば100通りの学び方があります。

そうであっても、何かを始めなければ、今までの暗記偏重の勉強しか子供にさせることができません。

そこで、私は2019年度中には、「学びカフェ(仮)」というものを始めようと考えています。

「学校の勉強に加えて、他者と一緒に答えのない問題に自分なりの考えを出す」

簡単に言えば、そのようなことを実践していく塾です。

私は頭が良い方ではないので、このようなことを実践するのは時期尚早だと、なかなか重い足を動かすことができなかったのですが、

頭で考えているだけでは10年たっても何も変わらない

見切り発車であったとしても、まずは始めなければ、何も変わらないと思い実践に踏み切ることにしました。

言葉にしにくかったので雑になっている記事ですが、「仕事の未来」「こども哲学」が漠然としたイメージです(これだけでなく、実践したいと思っているものが別にもあります)。