「学歴はそんなに大切ですか?」

と問われてもなんともいえません。

誰もが知っている大会社に入るためには最低限の学歴が必要かもしれませんが、そうでないのなら学歴はそこまで気にしなくてもよいかもしれません。

学歴は個人の力能を測る指標

一般的に学歴が大切だと言われているのは客観的に個人の力能を測る指標になるからだと思います。

偏差値の高い大学に合格しているということで、

  • 知識を持っているだろう
  • 処理能力があるだろう
  • 理解力があるだろう
  • 嫌なことでもやり続ける忍耐力があるだろう

以上のような力能を最低限持っていることが分かります。

大学を卒業していない人や、名前を書けば合格できる大学、偏差値50台前半の大学、MARCH・関関同立、早慶上智、東大・京大などの旧帝国大

どの大学を出ているかでどのくらいの力能があるかをある程度把握できるのです。

もちろん、大学を卒業していない人や名前を書けば合格できる大学を卒業している人の中には東大・京大に進学している人よりも力能が高い人はいるはずです。

また、学歴だけで個人の力能を判断することはできませんし、大学を卒業していないから「ダメ」というわけではありません(自分で考え抜いて大学に進学しないのは当然あり)。

大学を卒業しなくても、自分のやりたいことを見つけてそれを実践することができれば、そちらの方が良いと思います。

しかし、一般就職を考える場合は、別です。

大学を出ていない人から「私は頭がいいです。だから採用してください」と言われても、企業側としては

「口で言われても分からない」

「何千人、何万人の人がエントリーしているので一人ひとりの能力を会社が全部見るのは無理」

「大学名で人数を絞ってその中から選べばいい」

となるわけです。

企業側がこのように考えているとすれば、多くの人が入りたいと思う企業に就職するには最低限の学歴が必要になるということがこれでわかるはずです。

いわゆる「学歴フィルター」です。

とは言っても、何千人・何万人もエントリーする企業を受けないのであれば、偏差値の高低はたいして問題はないはずです。

面談で「この子を採用したい」と思わせることができれば、どの大学を卒業していようが関係ありません。

行きたい大学は自分で考えて決めるべき」で触れた通り、低偏差値の大学に通っていたとしても、大学で努力をすれば高偏差値の大学の人よりも選ばれることは普通に起こるはずです。

ただ、何も結果を出せず、行動すら起こさない、口だけの人が「やれば誰でもできるんだから、学歴なんか関係ない」と言うと、残念な人だとしか思われません。

 

学歴が高い方が有利なのか?

数字で知りたい方は、「教育の社会学」の第4章「学歴社会」の変貌と「格差」、を是非。

少し古いですが、学歴が少なからず就職に影響をしていることが分かります。

偏差値の高低で能力が違うのは本当?

私は偏差値50以下の大学と偏差値60以上の大学に通った経験があります。

この経験から、偏差値の低い大学よりも偏差値の高い大学に合格している人のほうが、能力が高い人がいる割合が多いことは間違いないと感じました。

例えば、偏差値50以下の大学で私は第二言語で中国語を学び、2年の前期に中国語検定3級に合格したのですが、中国語を第二言語にしていた半数くらいの子は、2年修了時になっても準4級にすら合格できていなかったみたいです(準4級はかなり簡単で1か月くらい勉強をすれば不合格になるほうが難しい)。

私は中国語に加え韓国語の勉強(ハングル検定3級も2年の前期に取った)・心理学の勉強もしていたので、中国語の勉強はそこまでしていないにもかかわらずこの差です(とりあえず大学に進学した子と学ぶ意欲が強かった大人との差を考えたとしてもこの差は大きいと思います)。

言語を学ぶことに意味を感じず適当にやっている代わりに、別の分野で自分の力を高めようと努力しているかと言われれば、そうでもなく、何もせずにただ楽な方に流れているだけのようにも見えました。

こういう結果を見ると、学ぼうとする意欲があまりない人が低偏差値の大学に集まっていることが見えてくるはずです。

それ以外にも、いくつも気になることはあったのですが、就職に有利になるからと男子学生たちが「秘書検定2級」の勉強をしていることには特に驚きました。

資格がないよりもあるに越したことはありませんし、知識は多いほうがいいかもしれません。

しかし、秘書検定2級を勉強することが「就職に必要か」と考えたとき、偏差値60以上の大学に通っている男子学生が秘書検定2級をやろうとは思わないはずです。

つまり、やるべきことが何なのかを判断する力もないわけです(当然、すべての人に当てはまるわけではありません。中には「こいつはすごいな」という子もたくさんいました)。

「これくらいの資格なら簡単に取れる」という基準が偏差値の高低で差が出るといったほうがいいのかもしれません。

偏差値60以上の大学だったら少なくとも宅建が「(不動産関連企業に興味がないのであれば)そんな簡単な資格とってどうなるの?」となるところ、偏差値が50以下の大学になると、その資格が自分にとって必要かどうかの次元の前に「宅建は難しいから取れない」となるのです。

事実、偏差値40台の大学で公務員を目指そうかな~と言っていた友達(私の元教え子よりも若い)に「いきなり公務員は難しいかもしれないから、まずは宅建からやったら?あれやっておけば民法の基本は身につくよ」とアドバイスをしたところ、最初は頑張っていたみたいですが、1か月くらいで「最初は簡単だったけど、難しくて分からなくなってきた」と挫折したみたいです。

彼は偏差値50以上の公立高校をでて、話をしていて賢いとは思っていたのですが、努力の経験が少ないので、継続して努力をするということができなかったのです(興味関心がそこに向かわなかっただけとも言えますが)。

 

また、私が通った3回目の大学では精神保健福祉士の資格を取得できる学科があるのですが、私は3年の時に過去問で合格最低点を超えていましたが、合格できずに卒業する子もいたみたいです(私は4年で大学自体を止めてしまったので、その点では何も言えなくなってしまいますが)。

ちなみに、精神保健福祉士の資格は、西南の学生だったら合格率は90%後半~100%になるくらいの難易度で、普通に勉強をしていたら不合格になる方が難しい資格です。

結局は中学・高校で最低限の努力をして、それなりに偏差値の高い大学に進学している子は、そうでない子よりも受験知識だけでなく、暗記力・読解力・集中力・やる気など、いろいろな面で能力が高い可能性があるのです。

ただ、低偏差値の大学に通っている子が人間的に劣っているかと言えばそうではなく、ただ、努力をしないことによって、自分の力を出せず、せっかく持っている能力を無駄にしてしまっているだけなのです。

だから、このことを当たり前のように知っている企業(エントリー数が多い企業)が、学歴を最低限の力能を測る指標にするのは当然のことなのです。

会社に就職をすることを考えなかったとしても、努力の経験があるかないで自分のやりたいことをやって生きていけるかどうかがにも影響するはずです。

そうであるからこそ、「勉強をする理由」でも触れていますが、何もやることがないのであれば、やることが見つかるまでは、将来の選択肢を広げるためにも力能を高める環境に自分を置く努力(今の日本社会において、一般的な就職をしたいと考えているなら、受験勉強をしないという選択はなかなかできない)をしておくべきだと思います。

学歴が高ければいいのか?