勉強は漠然としなくてはならないと思っている人が多いと思います。
小さいころなんとなく勉強をさせられていたから自分の子供にもそうさせている。
若かったころ勉強をしなかったことを後悔しているから子供に勉強をさせる。
などなど
勉強をさせなくてはいけないと思う理由は人それぞれだと思いますが、その理由は漠然としているはずです。
子どもに勉強をさせる理由を真剣に考えると、今後子供たちに何をさせたほうがいいのかが見えてくるかもしれないので一度考えてみることを勧めます。
目次
私の考える「勉強をする理由」
「人が勉強をするのはなぜか」ということ長い間考えていますが、私自身、完全に納得できる結論はまだみつかっていません。
ただ、今の私が「勉強をする理由を一言でいえば何ですか」と尋ねられたら「自分が生きたいように生きられる可能性を高めるため」と言います。
このような考えを持つに至ったのは以下の経緯があるからだと思います。
1. ダラダラした生活を送っていた小中学生の時(そのときはそれで楽しかったが)よりも、高校になって勉強をすることで、目標がみつかり毎日が充実するようになった。
2. 勉強をすることで「自分はやればできる」という自信がつき、「あれ面白そうだな、これもやってみたいな。こんなこともできるのでは」と大学生になってから、興味・関心の幅が広がった。
3. 夢をかなえることはできなかったが、今、塾で子供たちに教えられることに幸せを感じている
4. 塾をやりつつも、やってみたいことが別にもある
書いていて自分で気持ち悪くなりますが、私が「自分が生きたいように生きている」今の状況は勉強なしにはあり得ませんでした。
勉強をすることが絶対に正しいとは言えないですし、勉強以外のことで自分が生きたいように生きていく道を探すこともできます。
しかし、何にも興味がなくなんとなく日々を過ごしているのであれば、勉強をすることが「自分が生きたいように生きていくため」の最良の方法だと思います。
だから、私は勉強をすべきだと思うし、これからの時代を生きる子供たちもそうあるべきだと思っています。
しかし、「自分が生きたいように生きられる」ようになったのは結果であり、将来を考えることが難しい(学校という狭い社会経験しかないから)子どもたちに「生きたいように生きるためだよ」と語ったところで「あっ、そう」で終わるだけです。
10年先の自分(大人になった自分)を想像することが難しい小中高校生に、「自分が生きたいように生きるため」と言葉で説明しても納得できるわけがありません。
だから、親や子供の教育に関わっている大人が勉強をする理由を考える必要があるんです。
今の子供たちがなぜ勉強をし、何を勉強しなければならないかを大人たちが真剣に考えれば、それを子供たちが感じ取ってくれるはずです(そう信じている)。
そして、親として子供にできることは何かを考えることが、口で言うだけでは子供は分かってくれないことに気づき、子供のために自分がどのような行動をとるべきかを考えることにもつながるはずです。
きれいごとを言っても効果なし
私たち大人と同様、子どもたちも「よくわからないけれど勉強をしておかないと何かヤバいんじゃないかな」という気持ちを持っています。
しかし、子どもたちには勉強以外にやりたいことがたくさんあります。
だから、勉強をしなければいけないと分かっていてもできないのです。
そのような子に、「勉強をしなければいい高校・大学に行けないから」「大人になったら困るから」などと言っても、素直に受け入れるわけがありません。
また「数学は論理力をつけるためだよ」などと言う人もいると思いますが、考える訓練はできるとしても、数学で身につく論理(証明)は数学でしか使えないと私は思います。
数学で論理力がつくというなら、数学の文章題・証明は得意だけど人に分かりやすく論理だてて説明できない子、逆に論理的に分かりやすく説明ができる子の中に数学の文章題や証明問題が苦手な子もいます。
これらをどのように説明するのでしょうか。
社会でもそうです。
「過去の歴史をヒントにこれからの世の中を考える(解決策を見つけ出す)力が身につく」と言う人もいると思いますが、学校で学んだ歴史が、今の自分の生活に大きく影響するほど役に立っていると感じている人はそこまで多くないはずです。
当然、歴史を学ぶことで自分の考え方の基盤を作り、社会生活に役立てている人もいるとは思いますが、少なくとも私は「歴史の勉強が今の自分に影響している」などと思ったことは一度もありません。
「数学が論理力」「歴史をヒントに」などと言っている大人が、本当に自分でもそう思っているのかも疑問です。
子どもたちを納得させようと、それっぽい理由をつけているとしか思えません(少なくとも自分の感覚だけでなく心理学を多少でも勉強していれば、学習の転移はそこまで起こらないという研究結果を知っているはずなので、むやみに数学をやれば論理力がつくなど言えないはずです)。
そもそも、論理や解決策を見つけ出すことができる力は、数学や歴史の勉強をしなければ身につかないのでしょうか?
他にもそれらの力を身につけるためのやり方はあるはずです。
断言します。
子どもは賢いので、大人の偽善や中身のない言葉に気づきます。
見透かされます。
にもかかわらず何も考えていない人は、世間で「すごい」と思われている有名人や権威のある人が言うことを、それが正しいと鵜呑みにして自分の子供にも通用すると勘違いしてしまうのです。
しかし、私のように権威のない人やいつも一緒にいる親が、権威のある人・カリスマ性の高い人が言った言葉を借りて子供に語ったところで効果なしです(子が親に権威を感じていれば別)。
だから、「なんで勉強をしなくてはいけないの」ということを子どもから聞かれたら、「勉強の中身よりも、勉強をすること自体に意味がある」と伝えたほうが、子どもも受け入れやすくなると思うんです。
だって、そこには嘘がないから。
当然、そのように伝えてもいきなり勉強をするようになるわけではありません。
また、「じゃあ、学校の勉強以外でもいいの?」「好きな科目だけやればいいの?」と返されるかもしれませんが、それが本人にとって成功体験ができる一番の方法であればいいと思います。
もちろん、勉強の中身そのものが大切だと思っている人がいるなら、自分が思う通りに伝えて構いません。
何が正しくて何が間違っているかなどないのだから、それで子供たちが勉強をするようになるのであれば、それで構わないんです。
どうすることが子供にとっていいことなのか、口で言うだけでなく、親が自分で考え、子どもたちがそれを肌で感じられるように行動をするんです。
中高生のとりあえずの目標
勉強以外で本気で取り組んでいるものがある子
勉強が極端に苦手な子
は学校の勉強で最低限の努力をするだけでいいと思いますが、
特に何もやることがないのであれば、できる限り偏差値の高い高校・大学に進学することを勧めます。
私は名前を書けば合格できる高校・大学(3回目の大学)と、それなりに偏差値の高い大学(1回目の大学)に進学しました。
偏差値の低い大学・高い大学の両方に通うことで、偏差値の高低は受験勉強ができるかできないかではなく、やる気・行動力・理解力など、簡単には埋められない差があることを肌で感じました。
偏差値の高い高校・大学には、やる気があり能力が高く「やればできる」という経験をしている人が多く集まります。
逆に、低偏差値の学校には努力をしたことがない人たちが多く集まります。
努力の経験がない人は楽な方楽な方に流されやすく、自分たちの力を高めようとする考えが起こりにくいです(中にはすごく努力をしている人もいるし、やる気のある人もいましたが、口だけで実行が伴わない人も多かった)。
また、偏差値が低い学校にいると、少し努力をしただけで周りよりも良い結果を出すことができます。
それが、自分の能力が高いと勘違いしてしまう危険性もあります(その勘違いが成功に導く可能性もありますが)。
偏差値60台の大学の学生が「がんばった」と言うのと、偏差値40台の大学の学生が「がんばった」というのでは全く違うのです。
個人の成長は周りの環境が大きく影響するので、よりよい環境で学ぶためにも、可能であれば高校・大学はできるだけ偏差値が高いところへ行くべきだと思います。
もちろん、いろいろな状況を考え、偏差値に関係なく学校を選ぶほうが自分にとって良い場合は偏差値にこだわる必要はありません。
参考:中学生が受験校を決める時期
参考:高校生が志望校を決める時期