IT技術の発展(プログラミング)には驚かされます。
目次
塾の仕事はなくなるか?
今後はタブレットで映像授業を見せ、分からない問題が出てきたら講師に質問をする、映像授業と少数の講師で運営する個別指導塾が増えてくることが予想されます。
人材確保に悩む必要がなくなるだけでなく、経費も削減できるのですから、利益を第一に考えれば、今後新しく開業をする塾がこの形態をとらないわけがないからです。
新しい形の塾に少子化も影響し、今乱立している学生講師を雇うような個別指導塾は10年後どれくらい生き残こっているか楽しみです(形態を変える塾も出てくるでしょう)。
しかし、新しい形の塾も安泰とは言えません。
スタディサプリの登場に加え、「manabo(マナボ)」が浸透すれば(仮にmanaboが経営に失敗したとしても、別の企業が同じようなことをするでしょう)、個別指導・家庭教師の需要そのものが、今後数年で激減することが予想されるからです。
データが蓄積されることで、数年後には今以上に使い勝手の良い機能が「manabo(マナボ)」に搭載されるようになるはずです。
そうなったときは「知識をつけるために塾に通う」という子供がどれくらいいるでしょうか。
家やスタバ・マックなどでも難関大学のチューターから格安で個別指導が受けられるのだから、勉強習慣がある人がわざわざ決められた時間に塾に通うという選択をするとは思えません。
「学習塾の講師として受験知識を子供たちに教える」という仕事は、10年もしないうちに間違いなく価値が下がるでしょう。
今のままでいいのか
塾業界の未来予測を書きましたが、ここで書きたかったのは塾業界の今後ではありません。
教育業界の中の「塾」という狭い部分を見るだけでも、気づかないうちに世の中では大きな変化が現在進行形で進んでいるということが分かってもらえたはずです。
これが自分の子供に関係があるかないかを、子育てをしている親に考えてもらいたいのです。
普段生活をしていても世の中で起こっている大きな変化に気づくことはありません。
大きな変化は目に見えないところで起こっているからです。
教育業界だけでなく、様々な業界で同じようなことが起こりつつあります(本を読んだりネットで調べるたことの受け売りではありますが、知らないうちに今では考えられないことがいろいろと現実になるみたいです。入試改革が行われているのもそのためだと思います)。
十分なデータが蓄積されていない現在、まだAIが人間の仕事を奪うまでには至っていませんが、2030年までにAIが得意とするものはAIが行うようになるはずです。
それは、今存在している仕事がなくなることを意味します。
銀行がリストラを始めたのも、少なからずAI技術が影響しているはずです。
税理士の仕事がなくなるかもしれないということも耳にします。
市役所などの事務作業はAIに置き換えようと思えば今にでもできるかもしれません(すれば失業者が大量発生して経済に悪影響が起こるのでしばらくはないでしょうが)。
今の中学・高校・塾は入試にしか使えないこと(AIが得意な暗記・計算)を中心に教えています (学校教育が少しずつ変わり始めているみたいですが、教育の変化のスピードが社会の変化に追いつけないと私は思う)。
極端な言い方に変えると、目先の入試のためだけに今後価値が下がることが確実な「知識」「計算力」「情報処理能力」を身につけさせることを重視した教育をしているということになります。
今回、ここで私がマナボを紹介したことは、私の塾にマイナスになることは間違いないです(書かなかったとしてもいずれマナボは浸透するので時間の問題)。
マイナスになると分かっていても、子育てをしている親に今何をすべきかを考えてもらいたいのです。
今ある塾の多くが消える可能性が高いということを具体的に示すことで、今だけでなく将来を予測しながら子供たちに何をさせたほうがいいかを考えてもらいたいのです。
定期テストのために暗記をすことや入試のために情報処理能力を高めることが無駄になるわけではありませんが、それだけでは10年・20年後、社会から必要とされる人になれるのか、やりがいの持てる仕事ができるかは疑問です。
もちろん、未来がどうなるかは誰にもわかりません。
塾も極端には減らないかもしれません。
しかし、少なくとも、何も考えずに今まで良いと言われてきたことを真似て生きていくか、将来どうなるかを予測しながら今何をすべきかを考え生きていくかで、20年後に置かれる状況は変わるはずです。
何も考えずに、「周りのみんながやっているから自分の子供にもやらせないと不安」といった理由で、
「英語が重要だからしなさい。」
「プログラミングが大切だからしなさい。」
「受験に必要だから言われる通り暗記しなさい。勉強しなさい。」
と言うことが、本当に正しいことなのでしょうか。
決して「勉強をする必要はない」と言っているわけではありません。
社会生活を送るうえで必要最低限の知識や技能を身につけさせることは大切ですし、受験をして大学に進学することも世の中を生きていくための重要な手段の一つになります。
私は何も考えずに、「入試に必要だから」という理由で勉強をさせるべきではないと言いたいのです。
「子供にどう育ってもらいたいか」をまず考え、そうなってもらうために、「今、子供に何をさせたほうがいいのか」「本当にそれが必要なのか」を考えてもいいのではないかと私は思うんです。
考えたうえ「英語が必要だ」と思えば英語を勉強させればいいんです。
プログラミングを勉強させればいいんです。
将来自立するために子供は何かしら勉強をする必要はありますが、みんながみんな同じことをする必要はないと思うんです。
「何をさせるか」を先にもってくるのではなく、「どう育ってもらいたいか」を先に考え、そのために「何をする必要があるかを決める」こともありなのではないか、ということをここで提案したいのです。
そんなこと人に言われたくないし、ちゃんと子供のことを考えている、と不快に思われた方もいると思います。
もちろんそのような方のほうが多数だと思います。
しかし、自分が生きた時代に自分が成功した方法が今後の社会に通用するとは限りません。
将来を予測せず、過去の正しいやり方が今も通用すると信じ、そうすることが正解だと思い込み、本当に必要なことが何なのかを真剣に考えてるのを忘れてしまっている方も中にはいるかもしれません。
この面倒で余計なお世話なブログを読んだのも何かのきっかけだと思います。
一度、教育って何なんだろうということを考えてくれたらうれしいです。
そこには絶対の正解はありませんし、人によって何が正しいかも違います。
自分の子供にどのように育ってもらいたいかを改めて考え、自分が正しいと思ったことを子供に伝えてください。
これから求められる講師
少なくとも知識を教えることだけが上手な講師は、気づいたときにはほとんどいなくなっていると思います。
これからは単に知識を教えるだけでなく、子供にやる気や目標を持たせることができ、かつ「思考力・表現力・判断力」を身につけさせ、人間力(社会性)を育てられる講師です。
言葉にするのは簡単ですがこれを実践できる講師が世の中にどれだけいるでしょうか。
私もまだまだその域には達していません。
そうなれるように、私は自分自身が成長するために今でも勉強をしていますし、入塾してくれた生徒に物理的に可能な限りの対応をして経験を積つんでいます。