福岡県外の方でこのサイトを訪問してくれている2~3割くらいが「学習障害」「勉強が極端にできない」といった内容で検索をして「学習障害(LD)」にたどり着いています。

検索内容を確認すると、多くの方がどのようにすればいいのか分からず不安を抱えていることが伝わってきます。

最近のこの検索状況を見て、私が今まで書くことを避けてきた、あまり書きたくなかったこと、塾運営者として書くべきでないことを書くことにしました。

読み書きが極端に苦手な子に読み書きの勉強をさせ続けること

それって本当に意味があるの?

何で学校の勉強にこだわる必要があるの?

本当にやるべきことは別にあるのでは?

そういうことを本気で考えれば、学校の勉強ができるかできないかなど、たいした問題ではないと、少なくとも私は思います。

    私自身のこと

    「偏差値30台は学習障害?」という検索を見ましたが、偏差値で学習障害かどうかは分かりません。

    私は小学校4年生から漢字テストでは頻繁に0点をとっていましたし、小学生のあのカラフルなテストでも70点を取ったら喜ばれるくらいでした(勉強が苦手な子でも、それが極端でないなら、あのテストで80点~100点を取れることは普通にある)。

    中学の時は1年の始めに受けた実力テスト以降、5教科合計で平均点に達した記憶はありません

    定期テストでは全教科30~50点(5教科で200点前後)くらいしか取れていなかったという記憶が残っています。

    偏差値も30台でした。

    はっきりと覚えているのは、中学3年の2学期期末、3学期の学年末テストで、英語で18点を取ったことです(be動詞が何なのかもわからない状態だから当然)。

    あとは、スペリングコンテストで100点中2点か3点を取ったことも覚えています。

    不合格者が受ける再テストでは、別のクラスの全く知らない子からこそっと「娘(daughter)」の綴りを教えてもらい、5・6点くらい取ったような記憶も残っています。

    勉強以外で他の子と比べて異質性を感じられた部分は、落ち着きのなさ、自己中で周りが見えず他人を不快に思わせていたこと(今思い返すと)です。

    しかし、友達は普通にいましたし、人から嫌われた経験はありますが、いじめられた記憶はありません(私のようなタイプの子は外見・性格・言動などによりいじめの対象になったり、変な目で見られることもあると思います)。

    あとは、クラスで常に目立っているリーダー的立ち位置にいた小学校3・4年から、5年の転校をきっかけに、目立たない人になりました。

    環境によって自分の立ち位置が全く異なることがある」、ということをわずか10~11歳で経験しました。

    この経験が、自分に良い環境がないなら、自分で自分の居心地の良い環境を作ればよい(作る努力をする)という考え方につながっているはずです。

    「極端な勉強嫌い」「成績不振」「落ち着きのなさ」「自分が中心に世の中が回っているという勘違い(自分が中心だと考えていることに自分では気づけていない。自己中心性は小学校低学年から中学年のまでに徐々に薄れるのが普通)」

    このような小・中学校時代を振り返ると、今の時代だったら何かしらの発達障害に関連する診断を受けていると思います。

    少なくとも「極端に勉強ができない子」と学校の先生からは思われていたはずです。

    私の偏差値推移

    努力が結果に出ない子はいます

    どれだけ勉強をしても成績が伸びない子はいます。

    1対1の個別指導塾に通っても学校の定期テストで平均点に全く届かない子がいると聞きます。

    教え方がものすごくいいと評判で実績のあるプロ家庭教師を雇って勉強をさせても全科目10点前後しか取れない子もいると聞きます。

    特定の科目は得意だがそれ以外の科目が全くできない子もいれば、逆に、特定の科目は苦手だが他の科目が得意だということもあります。

    必死に暗記をしても定期テストで10点くらいしか取れない子、努力をすれば科目によっては50点くらいはとれる子もいるでしょう。

    暗記はできるので定期テストではある程度の点数を取れるけれど実力テストになると特定の科目が極端に悪い子

    文章の読解、理解をするスピードが遅い遅い子

    これらの原因が何なのか

    • 性格の問題か
    • 集中力の問題か
    • 興味のないことを覚えるのが嫌なだけなのか
    • 単に勉強のやり方が間違っているだけなのか

    勉強ができない原因は何かは分かりませんが、「勉強をしても努力に見合う点数が取れない」ということは事実です。

    その事実を見つめることなく「勉強しなさい」「やればできる」と親の監視下に置いて無理やり勉強をさせたり、「塾に入れれば何とかしてくれる」と他人任せにする前に、考えるべきことがあります。

    「結果が出ない原因がどこにあるのか」を、できる範囲でかまわないから親自身が把握することです。

    もちろん、ほぼすべての親が自分の子供のことを真剣に考えていることは分かります(このようなサイトを見ている人は例外なく子供のことを考えているに違いありません)。

    しかし、「できない原因」を「勉強不足なだけ」「勉強のやり方が間違っているだけ」「努力をすればどうにかなる」という前提で考えている、もしくはそう思いたい、ということはないでしょうか。

    このようなことを書くと、「どこの誰だか知らない他人のあんたが勝手なことぬかすな」、と思われるでしょう。

    そう思われることは分かっていても、どれだけ勉強をしても成績が伸びない子に無理やり勉強をさせている人がいるとするなら、その人に伝えたいのです。

    努力をしてもそれに見合う結果が全く出せていない子の親が「極端にできないかもしれない可能性がある」という視点で子どもを見てあげなければどうなるでしょうか。

    もし、努力をしてもできないのに無理やり努力をさせ続けてしまっているのだとしたらどうでしょうか。

    「自分はやってもできない劣った人間」と子どもに思わせてしまうかもしれません。

    そうならないために、思うような結果を出せ出せない場合は、「極端に苦手な可能性があるかも」という視点をもって子どもを見てあげることが大切だと私は思います。

    学校の勉強が苦手なら、勉強以外で得意な部分を見つけてあげて得意なことを伸ばしてあげることもできるはずです。

    他サイトになりますが「教育虐待」という言葉を最近は多く聞くようになりました。

    LDの可能性も考える

    専門家ではない私が書くべきではないようですが、触れさせてもらいます(私が勝手に思い込んでいるだけの可能性が高いので、書いてある内容を鵜呑みにしないでください)

    読み書きが極端に苦手な子に、その子に合った学び方を見つけ出してあげずに「覚えなさい」「書きなさい」「やる気がないだけでやればできる」という指示しか出さなければ、できるようにはなりません。

    何が苦手なのか、苦手な部分を把握し、子どもに合ったやり方で勉強をさせることができれば少しずつできるようになる部分はあります。

    ただし、「できるようになる」が「偏差値60以上の上位校を狙えるくらいの実力になる」という意味であれば、叶わない可能性が高いと思います。

    個人差がありますが、10点くらいから30点・40点に伸びるというくらいで「できるように」はなると思います(もちろん、ならない場合もあるはずですし、平均以上取れるようになる場合もあるはずです)。

    ワーキングメモリが弱かったとしても、経験を重ね記憶している知識が増えれば過去になかなか覚えられなかったことでも少しずつ覚えられるようになることもあります(ならないこともあると思います)。

    できる範囲で努力をさせ、その努力をしていることにも目を向けてあげてください。

    成長の度合いは個人差があることも忘れてはいけません。

    ゆっくりでも確実に伸びている部分を見てあげてください。

    LDは勉強しても無理ですか?

    勉強以外を見てあげる

    「偏差値50は当たり前、60以上じゃないとダメ」

    「偏差値40台はダメ、30台などふざけるな」

    特に中学になると、このように子供を評価する指標が学校の成績に偏ってしまいがちです。

    数値化できるものだけで子どもを評価すると、学校の勉強が思うようにできない子がつらい思いをするだけだと思います。

    学校の成績を伸ばすために努力をすることは大切ですが、学校の点数だけで子どもを評価するのはいかがなものかと…。

    点数化される学校の成績よりも、点数化できないもののほうが多くあり、点数化できない子供の良さを生かしてあげるという選択があってもいい(あるべき)と思います。

    勉強が極端に苦手であれば、勉強をしたくてもどうにもならない場合があります。

    勉強に関心が向かっていない場合は、特定の科目しか勉強をしないということもあるでしょう。

    そういう場合は、学校の勉強はできる範囲でやればいいと思うんです。

    学校の勉強が多少できなくても、行動力・やる気・コミュニケーション能力・人を引き付ける力、そういう力があれば自分のやりたいことで自由に生活ができる社会人になれます。

    これまでは学歴(学力)があることで可能性を広げることができていましたが、これからの世の中、学力以外の力を生かせるようになるはずです。

    もちろん、知識があって初めて自分で物事を考えることができるという面があります。

    学校の勉強が得意であれば、プラスに働く面は多くあるはずです。

    しかし、学校のテストで結果を出すことができなかったとしても、自分の興味関心に基づいて本を読んだり体験を重ねることで必要な能力を手に入れることは可能なはずです。

    学校の勉強でよい結果を出すこと、学力があるということは、一つの能力にすぎません(大切で重要な能力であることは間違いないが)。

    学校の勉強が苦手なら、それとは違う能力を伸ばせばいだけなのに、成績にこだわりすぎのような気がします。

    特に、学歴のある親はその傾向が強いかもしれません(私の父は立命館大学を卒業し、国家公務員として霞ヶ関で働いてたのにも関わらず(官僚ではない)、兄弟そろってダラダラ生活していたので「バカは死ね」という言葉がでていたのでしょう)。

    百歩譲って、私の世代では学歴が大切だった時代なので学歴にこだわることは仕方ないにしても、今の時代は学歴の価値は相対的に下がっています(ただ、それがあることで有利に働くことは否定できない)。

    学校の勉強ができなかったとしても、学校の勉強ができる人を上手に使って何かを成し遂げる力があれば、学校の勉強ができないという弱点を十分補えられるはずです。

    一流企業に就職することが成功の証だという考えがあるのなら、そんなものは早く捨てるべきです。

    自分の能力を生かすことができる会社で働いたり、就職が難しいと思うなら起業すればいいんです。

    行動力・やる気があれば、可能なはずです。

    「起業など不安定な選択はできない」と思う人が日本人には多いかもしれませんが、これからの世の中、就職をしたからといって安泰と言えないのは誰もが気づいているはずです。

    努力をしても努力に見合う結果を出すことが難しい状態にいるのであれば、努力が結果に結びつくことをすればいいんんです。

    これは、学校の勉強から逃げているのではありません。

    自分らしく生きていくために自分なりの決断をしているだけです。

    「こうなってもらいたいと無理な教育をしても、それがかえって裏目に出ることがある。押し付けの勉強で学校の勉強ができてもそれを生かす能力を身につけられなければ結果潰れるだけ。学校の勉強ができる能力しか持っていない、使えない人になる」

    子どもとしっかりと向き合い(点数だけにこだわるのではなく)、何をすることが「今」そこにいる子供にとって必要なことなのか、それを考え子供の成長を見守っていくのが親の役目だと思います。

    他人がサポートができることは少ししかありません。

    子どもの成長は親の力が大切だということを、子供が苦しんでいるのが見られる場合は特に、意識してもらいたいです。

    勉強で努力をしたことがない子は普通科への進学は勧めない